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三原市賀羅加波神社-例大祭-奉納神楽(草神楽子ども研究クラブ)収録掲載

2020年10月29日事務局

 
2020年10月10日(土)広島県三原市 賀羅加波神社-例大祭で奉納された、大草神楽子ども研究クラブの 「御神祇」「八重垣」の動画をUpしました。 


  2020年8月22日(土)広島県安芸高田市 神楽門前湯治村より  
センターカメラ(RCCBC神楽チャンネル)
サブカメラ(NPO広島神楽芸術研究所)

 

①13:00~ 大江山(おおえやま)-吉田高校神楽部

■吉田(よしだ)高校神楽部プロフィール
吉田高校神楽部は創部18年を迎え、現在、3年生3名、2年生7名、1年生7名の形17名で活動しています。吉田高校神楽部を多くの人に知ってもらうことを目標に、日々精進しています。安芸高田市には22の神楽団があり、部員の多くはそれぞれの地域の神楽団に所属しています。それぞれの舞い方を取得していますが、部員全員の共通の想いである「日頃の感謝の気持ちを吉田高校の神楽で伝えたい」を念頭に、お互い協力しながら吉田高校の舞を創り上げてきました。まだまだ未熟な私たちですが、応援のほどよろしくお願いいたします。
■大江山あらすじ
平安時代の中頃、一条天皇の御代、丹波国(たんばのくに=現在の京都府)の大江山に酒呑童子(しゅてんどうじ)という悪鬼が多くの手下を従えて立ちこもり、都はもとより付近一帯の村里に出没し、悪事の限りを尽くし庶民を苦しめていました。帝の勅命(ちょくめい)を受けた源頼光は石清水八幡に参拝し、御神酒を授かり童子の岩屋へ急ぎます。途中、都からさらわれてきた紅葉姫と出会い、一行は同時の岩屋へ案内されます。
童子との激しい問答の末、宿を許された一行は携えてきた御神酒を童子に振る舞い、大激戦の末、見事討ち取るという物語です。

 

②15:00~ 岩戸(いわと)-桑田天使神楽団(安芸高田市)

■桑田天使(くわたてんし)神楽団プロフィール
桑田天使神楽団のある桑田の集落では、江戸時代後半までに神楽が奉納されていたという記録が残されており、かなり古くから神楽が行われていました。舞や奏楽のなかにも、石見六調子神楽の古い形を残しており、昭和29年には「神降し」がいち早く広島県無形民俗文化財として指定を受けています。現在、団員数21名で活動しており、神楽門前湯治村の定期公演を始め、各地の奉納神楽等をさせていただいております。受け継ぐべき伝統をしっかり受け継ぎ、日々の練習に精進してまいります。今後ともご指導、ご声援よろしくお願いいたします。
■岩戸あらすじ
弟神・素戔嗚男命(すさのおのみこと)の悪業を嘆き、太陽の神・天照大神(あまてらすおおみかみ)は岩屋の中へお隠れになります。すると世の中は常闇となり、災いが起こり始めました。
そこで、高天原(たかまがはら)の八百万(やおよろず)の神々は再び大神にお出ましいただくため、天安河原(あまのやすかわら)に集い相談をしました。
天宇津女命(あめのうづめのみこと)が舞い踊り、賑やかに神々が楽しむ様子を不思議に思われた大神は、岩屋を少し開かれます。これを待ち構えていた手力男命(たちかろうのみこと)が大岩を押し開き、神々は大神をお迎えし、天に地に光が戻ったという物語です。

 

③17:00~ 葛城山(かつらぎざん)-八千代神楽団(安芸高田市)

■八千代(やちよ)神楽団プロフィール
八千代町の土師地区では、明治時代より土師神楽と呼ばれる独特の神楽が盛んに舞われていました。日高山神社において、「岩戸」、「天神」、「大江山」等が奉納されていましたが、土師ダム建設による立ち退きのため、一時中断していました。その後、この伝統ある貴重な土師神楽を保存・伝承しようと地元の有志が立ち上がり、昭和50年、八千代神楽団が結成されました。
現在は、19名の団員により土師神楽を継承しつつ、高田舞と称される新舞にも積極的に取り組み、お祭り等の奉納神楽を重視して活動しています。水金の週2回、皆様の心に響く神楽を目指し、熱心に練習しています。
まだまだ未熟な舞ではございますが、皆様に心から楽しんで頂けるように精一杯演じますので、温かいご声援よろしくお願いいたします。
■葛城山あらすじ
大和国(やまとのくに=現在の奈良県)、葛城山(かつらぎざん)に年古く住む土蜘蛛(つちぐも)の精魂(せいこん)は、病に伏した源頼光(みなもとのらいこう)を取り食らわんと侍女の胡蝶に化身し、典薬の守(てんやくのかみ)より妙薬と偽り、毒薬を頼光に飲ませ、一思いに取り食らおうとしますが、頼光に源家の宝刀・膝丸(ひざまる)を一太刀浴びせられ、葛城山へと逃げ去ります。頼光はこの宝刀を蜘蛛切丸(くもきりまる)と改、四天王に授け、土蜘蛛の精魂を退治するように命じます。
四天王・卜部季武(うらべのすえたけ)、坂田金時(さかたのきんとき)は葛城山に向かい、土蜘蛛の妖術に悩まされながらも激闘の末、土蜘蛛を退治するという物語です。

 

④19:00~ 吾妻山(あずまやま)-横田神楽団(安芸高田市)

■横田(よこた)神楽団プロフィール
横田神楽団の歴史については定かではありませんが、古老の話により推測すると、明治以前にまで遡ることができます。昭和20年代に入り、新舞が創作されるまでは高田八調子系の旧舞を伝承し、新米が創作されるといち早く新舞を取り入れ、昨今は新舞中心の奉納活動を行っています。昭和60年代に入り、若手成長と共に各地の大会、競演等にお招きいただく機会も多くなり、皆様方にもご周知いただける団となりました。今後も後継者育成に努めるとともに、「神楽らしい神楽」にこだわりを持ち、伝統芸能の継承に精進したいと思っています。
■吾妻山あらすじ
源頼光(みなもとのらいこう)から陸奥探索の命を受けた卜部季武(うらべのすえたけ)は、無事主命を果たした後、五月姫と共に陸前は松島を見物すべく奥州へと向かいます。
一方、阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)のため、安達ヶ原の黒塚を追われた妖鬼は信夫山に宿りを定め、宿の女主に化生して、黒雲・赤雲両名の手下を従え、山に入り来る物を引っ捕らえては取り食らうことを生業としていました。
信夫山にさしかかった季武の一行は山家の灯りを見つけると、旅に疲れた妻を女主に託して越後に向かいました。しかし、まだ日も落ちぬ中での流れ星に不吉な予感を覚え、急いで妻の元へと引き返します。しかし「休むまもなくここを発たれました」という女主を怪しんだ季武が問い詰めると、ついに妖鬼は正体を現しました。
戦いの末、無事五月姫を助け出した季武は、妻の危機に遭わせたことを悔やみ、この山を吾妻山と名付け、一生の教訓としたという物語です。

 


2020年8月23日(日)広島県北広島町 千代田開発センターより 
センターカメラ(RCCBC神楽チャンネル)
サブカメラ(NPO広島神楽芸術研究所)

 

2020年8月23日(日)広島県北広島町 千代田開発センターより 

※やむを得ず出演団体・演目・配信時間等が変更になる場合がございますご了承ください。

①13:00~ 鍾馗(しょうき)-松原神楽団(安芸太田町)

■松原(まつばら)神楽団プロフィール
松原神楽団は、西中国山地国定公園のふもと、安芸太田町松原地区にあります。神楽の開始は定かではありませんが、明治時代前より永年にわたって旧舞の伝統を守り、現在16名の団員にて今日に至っております。活動としては地元の奉納神楽をはじめ、イベントなど多数出演しております。今後とも、伝統神楽の継承に努めて参りたいと思いますので、皆様のご声援・ご指導宜しくお願いします。
■鐘馗あらすじ
「鐘馗」は中国や日本に伝わる魔除けの神様です。
 備後風土記には、みすぼらしい姿の武塔神(むとうしん)が一夜の宿を頼み、貧しいながらも温かくもてなした家族に「茅の輪」を腰に巻くよう言い残し、村中に疫病が流行った際にその家族は助かったという伝説があります。
 神楽の演目はこの伝説などから創作され、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身が鐘馗大神と名乗り、民の命を奪おうとする疫病神と戦います。
 姿なき疫病神を左手に持つ茅の輪で捕らえ、右手の剣で見事退治するという物語です。

 

②15:00~ 滝夜叉姫(たきやしゃひめ)-大塚神楽団(北広島町)

■大塚(おおつか)神楽団プロフィール
大塚神楽団の発足は、明治30年代頃と思われます。その起源は島根県石見町矢上の「矢上神楽」と伝えられています。旧舞として受け継いできましたが、昭和20年代後半に旧千代田町より新舞が伝えられ、近年まで新旧両舞を伝承していました。現在では若い団員が気分を新たにし、伝統を大切にしながらも、新舞を習得し、地域の皆様に喜んでいただける神楽をと、日々練習に励んでいます。今後ともご指導、ご声援よろしくお願いいたします。
■滝夜叉姫あらすじ
東の国の新皇を名乗った平将門(たいらのまさかど)は、天慶(てんぎょう)の乱で藤原秀郷(ふじわらのひでさと)•平貞盛(たいらのさだもり)の軍に敗れ去ります。
 平将門の娘•五月姫(さつきひめ)は、父の怨念を果たす為、貴舟(きふね)の社(やじら)に「願」をかけ、満顧と共に貴舟の神より妖術を授かります。五月姫は、名を「滝夜叉姫」と改め、父の因緑の郷、下総の国・猿島(さしま)の地に立ち戻り、多くの手下を従えて反乱を企てます。
 陰陽師・大宅中将光圀(おおやのちゅうじょうみつくに)らは、朝命を奉じて下総の国へと向かい、陰陽の術と邪心の妖術の激しい戦いとなりますが、滝夜叉姫の朝廷に対する復讐は成らず、無惨に敗れ去っていくという物語です。

 

③17:00~ 塵倫(じんりん)-本郷神楽団(安芸太田町)

■本郷(ほんごう)神楽団プロフィール
山県郡安芸太田町、一の宮大歳神社直属の神楽団で、天文4年(1535年)より存続し、石見神楽を原型とした矢上系の流れをくみ、十二神祇系神事舞や舞楽形式の旧舞、能形式の新舞も採り入れています。
地域の伝統と祖先の意志を後世に伝えるため、平成12年から子ども神楽団を発足させ、後継者の育成に努めています。
■塵倫あらすじ
西暦195年の頃、身体に翼があり、空を自由に駆け巡る悪鬼が攻め来た時、帯中津彦命(たらしなかつひこのみこと)・第14代仲哀(ちゅうあい)天皇は、お供の竹麻呂(たけまろ)と一緒にめでたく征伐したという物語です。
登場する鬼は、非常にあごが長く、凄みのある面出、女の鬼といわれています。
モデルは「イナゴ」の大群を退治した説のほか、2〜3の説があります。

 

④19:00~ 土蜘蛛(つちぐも)-琴庄神楽団(北広島町)

■琴庄(きんしょう)神楽団プロフィール
広島県北部・北広島町の豊平地域に籍を置き、琴谷天日(ことだにてんにち)神社と庄原八幡神社を守護神として崇拝し、活動する神楽団です。高宮町の神楽団より習い受けた従来の神楽を伝承するとともに、現在では、舞台芸能としての神楽にも取り組んでおり、平成17年には後に世界遺産となった奥州平泉を、また平成22年には広島県の世界遺産「宮島」を題材とする創作神楽「厳島」をつくり発表しました。
 いつまでも初心を忘れる事なく、挑戦する気持ちも持って皆様の声援を何よりの励みとし、精進をしてまいりたいと思います。
■土蜘蛛あらすじ
大和国(やまとのくに)の葛城山(かつらぎざん)に、太古の昔より住み着いている土蜘蛛の精魂が、侍女・胡蝶(こちょう)に化け、典薬(てんやく)の守(かみ)からの使いと偽って源頼光(みなもとのらいこう)に毒を盛ります。ついに念願を果たしたとばかりに飛びかかる土蜘蛛に必死で対抗する頼光は、名刀・髭切丸(ひげきりまる)で斬りつけ深手を負わせますが、正体を見破られた土蜘蛛の精魂は、糸を吐きながら逃げ帰ってしまいます。
 源頼光は四天王を集め、土蜘蛛退治を命じますが、この時髭切丸の太刀を「蜘蛛切丸」と改めて四天王に授けました。葛城山の岩屋についた一行は、土蜘蛛の妖術に悩まされながらも、大激闘の末、蜘蛛切丸をもって土蜘蛛を退治するという物語です。

 


2020年8月29日(土)広島市中区 広島県民文化センターより 
センターカメラ(RCCBC神楽チャンネル)
サブカメラ(NPO広島神楽芸術研究所)

 

①13:00~ お神楽(おかぐら)-河津原神楽団(廿日市市)
■河津原神楽団プロフィール
河津原の神楽舞は幣や幡、扇などによる、払い・清めを基調に置いた「十二神祇舞」です。明治の初めには既に河津原八幡神社への奉納神楽として舞われていたと伝わっています。
近年は「十二神祇」を保存・継承しながら「高田八調子」や「石見八調子」も取り入れて、河津原八幡神社への奉納神楽を中心に地域行事にも参加しています。
■お神楽あらすじ
代表的な神迎えの儀式舞で、他の神楽舞と区別し、独立した神事とされています。
この舞は、神々の「依り代(よりしろ)」として設えた、白蓋(びゃっかい)、天蓋(てんがい)に八百万の神々をお迎えして、その神慮(しんりょ)を慰なすため、玉鈴と幣による「四方・中央の拝礼」に次いで、玉鈴と扇による「斎庭(ゆにわ=舞殿)の祓い」を意味して舞われます。
この舞には「神おろし」「ねとりおこし」「渡り拍子」「舞太鼓」の4つの奏楽が使われていますが、「神おろし」「渡り拍子」は神前における儀式の時や渡御式の時にのみ演奏され「ねとりおこし」はお神楽でのみ演奏されます。
変化していく奏楽と雅やかな舞振りをご鑑賞ください。
お神楽の舞と奏楽は廿日市市の無形民俗文化財の指定を受けています。

 

②15:00~ 葛城山(かつらぎざん)-茂田神楽団(三次市)

■茂田(もだ)神楽団プロフィール
三次市君田町・茂田地区で約180年次前、石見地方より神楽を習い、伝承されて来ました。茂田地区で古くから砂鉄採取が盛んに行われ、砂鉄労働者の安全祈願と農業の五穀豊穣を願い奉納されてきました。その後、戸数も減り、有志に呼びかけ村内一円で団員を募り昭和48年に「君田村茂田神楽団」と改名し継承してきました。
その後、三次市の合併により「茂田神楽団」として継承しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
■葛城山あらすじ
大和国(やまとのくに)の葛城山(かつらぎざん)に、太古の昔より住み着いている土蜘蛛の精魂が、侍女・胡蝶(こちょう)に化け、典薬(てんやく)の守(かみ)からの使いと偽って源頼光(みなもとのらいこう)に毒を盛ります。ついに念王を集め、土蜘蛛退治を命じますが、この時髭切丸の太刀を「蜘蛛切丸」と改めて四天王に授けました。葛城山の岩屋についた一行は、土蜘蛛の妖術に悩まされながらも、大激闘の末、蜘蛛切丸をもって土蜘蛛を退治するという物語です。

 

③17:00~ 羅生門(らしょうもん)-高井神楽団(広島市)

■高井(たかい)神楽団プロフィール
高井神楽団は広島市佐伯区八幡に鎮座する八幡神社を拠点に活動しています。
神楽団の歴史は古く、百数十年の伝統がありますが、一時期活動を休止していた時期がありました。神楽復活を願う神社関係者、また地域の方々の声に押され、平成9年に活動を再開し、現在に至っています。
これからも応援してくださる神楽ファンの方々や観客の皆様に喜んでいただける神楽団を目指し、舞方、奏楽、裏方一丸となり一生懸命演じてまいります。
■羅生門あらすじ
戻り橋辺りにおいて、茨木童子(いばらぎどうじ)の左腕を切り落とした渡辺綱(わたなべのつな)は、事の次第を報告する為に源頼光(みなもとのらいこう)の館へ向かいました。
その頃、大江山に逃げ帰った茨木童子の話を聞いた酒呑童子(しゅてんどうじ)は、茨木童子の左腕を取り返すため、一計を案じます。酒呑童子は、綱の乳母・白妙(しらたえ)に身を変えて、帰還した綱を欺きます。
そして、左腕を取り返した酒呑童子は、茨木童子を呼び出して、腕を揉みつけました。
この物音に気づいた綱は、酒呑童子と茨木童子に挑みかかりますが、妖術にかかり倒れ込みます。そこに石清水八幡のお告げにより駆けつけた頼光の助けを得て酒呑童子と激しく闘いますが、酒呑童子は虚空飛天の妖術をもって大江山に飛び去っていくという物語です。

 

④19:00~ 葛城山(かつらぎざん)-下五原神楽団(広島市)

■下五原(しもいつはら)神楽団プロフィール
当神楽団は、広島市佐伯区湯来町を拠点に活動しています。
昭和47年に地元、下地区の神楽好きな子どもたちによって「下五原子供神楽団」として結成され、当時は「山県系六調子舞」を舞っていました。
昭和57年ごろには、団員の多くが成人となったことから、「下五原神楽団」と改名し、現在に至っております。
現在は安芸高田市の神楽団から指導を受けた、阿須那系高宮八調子を演じています。
現在の活動は、地元神社の神楽奉納を始め、各地でのイベント発表等、積極的に参加しています。
まだまだ未熟ですが、みなさんに喜ばれる神楽を目指し、練習に励んでいます。これからもご支援ご指導をよろしくお願いいたします。
■葛城山あらすじ
大和国(やまとのくに)の葛城山(かつらぎざん)に、太古の昔より住み着いている土蜘蛛の精魂が、侍女・胡蝶(こちょう)に化け、典薬(てんやく)の守(かみ)からの使いと偽って源頼光(みなもとのらいこう)に毒を盛ります。ついに念願を果たしたとばかりに飛びかかる土蜘蛛に必死で対抗する頼光は、名刀・膝丸(ひざまる)で斬りつけ深手を負わせますが、正体を見破られた土蜘蛛の精魂は、糸を吐きながら逃げ帰ってしまいます。
 源頼光は四天王を集め、土蜘蛛退治を命じますが、この時髭切丸の太刀を「蜘蛛切丸」と改めて四天王に授けました。葛城山の岩屋についた一行は、土蜘蛛の妖術に悩まされながらも、大激闘の末、蜘蛛切丸をもって土蜘蛛を退治するという物語です。